航空会社の予約システムに見る
「業務システムが支配インフラになる」話
DXという言葉は、便利なITツールを導入することのように語られがちです。
しかし、本当に恐ろしいのは、便利なシステムそのものではありません。
恐ろしいのは、同業他社が作った便利なシステムに依存しているうちに、自社の販売導線、顧客接点、経営情報まで握られてしまうことです。
その代表的な史実の一つが、航空業界のコンピューター予約システムです。
American AirlinesとSABRE
American AirlinesはIBMと共同で、SABREという航空予約システムを開発しました。
もともとは、自社の航空券予約を効率化するためのシステムです。
ところがこのシステムは、単なる社内業務システムで終わりませんでした。
1976年、American AirlinesはSABREを旅行代理店にも使わせるようにしました。旅行代理店はSABREを通じて、直接予約を行えるようになります。
ここで重要なのは、SABREが単なる予約端末ではなかったことです。
予約システムを握るということは、旅行代理店がどの航空券を見て、どの航空会社を選び、どの便が売れているのかを把握できるということです。
つまり、業務システムがそのまま販売導線になり、販売導線がそのまま業界データの入口になるわけです。
表示順を握る者が、販売を握る
航空券の予約では、旅行代理店の端末に表示された便の中から、代理店担当者が顧客に提案します。
そのとき、自社便が上に表示されるならどうなるでしょうか。
当然、上に表示された便ほど選ばれやすくなります。
実際、1984年以前、航空会社が所有するCRSは、自社便を有利に表示していたことが問題になりました。GAOの報告では、CRSベンダーが所有航空会社の便を一覧の上位に置き、それによって所有航空会社に追加収益が生まれていたと説明されています。
要するに、システムの表示順は単なる画面設計ではありません。
売上を左右する経営装置です。
「公平に表示しています」と言っても、何を公平とするのかは簡単ではありません。
直行便を上にするのか。
出発時刻が近い便を上にするのか。
所要時間が短い便を上にするのか。
価格が安い便を上にするのか。
航空会社名のアルファベット順にするのか。
このルールを決める側が、販売のルールを決めることになります。
American Airlinesは略称がAAです。アルファベット順にしても上位に出やすい、という逸話もあります。
この逸話そのものは慎重に扱う必要がありますが、少なくとも確実に言えるのは、航空予約システムにおいて「表示順」が競争上の大問題になったということです。
便利なシステムを使っているつもりが、経営情報を渡している
さらに怖いのは、表示順だけではありません。
予約システムを使わせる側は、どの便が売れているか、どの地域の需要が強いか、どの代理店が販売力を持っているか、どの航空会社がどの市場で弱いかを見ることができます。
GAOの資料でも、CRSを所有している航空会社は、予約データにより早くアクセスでき、旅行代理店の予約パターンを把握しやすかったと説明されています。
これは、現代のSaaSにも通じます。
同業他社が作った業務システムを使うということは、単に便利なツールを使うことではありません。
場合によっては、自社の業務データ、販売データ、顧客行動、価格競争力、弱点まで、システム運営者に見られる可能性があるということです。
規制されても、インフラ化したシステムは残る
その後、CRSの表示バイアスは規制対象になりました。
1984年には、航空会社所有のCRSが自社に有利な表示を行うことなどを抑えるためのルールが作られました。
しかし、ここで重要なのは、規制されたからといって予約システムの重要性が消えたわけではないことです。
むしろ、いったん業界インフラになったシステムは、他社も使わざるを得ません。
公平に表示するならするで、システムの開発・維持・接続には費用がかかります。
その結果、航空会社はGDSやCRSに対して予約手数料を支払う構造になります。
GAOの2003年の報告でも、GDSは航空会社の便や運賃情報を表示し、旅行代理店が予約・購入するたびに航空会社へ予約手数料を請求していたこと、また航空会社側にはGDSの市場支配力への懸念があったことが説明されています。
最初は自社の業務効率化システム。
次に旅行代理店向けの便利な端末。
そして業界全体の販売インフラ。
最後には、他社も利用料を払わざるを得ない情報基盤。
これは、非常に示唆的です。
DXで後手に回るとは何か
DXで後手に回るとは、単にITツールの導入が遅れることではありません。
本質は、業界の情報インフラを他社に握られることです。
航空業界では、予約システムが販売導線を握りました。
販売導線を握ると、顧客接点が見えます。
顧客接点が見えると、需要が見えます。
需要が見えると、価格戦略、路線戦略、競争相手の弱点まで見えてきます。
これは、単なるシステム開発の話ではありません。
経営の主導権の話です。
中小企業にとっての教訓
この話は、大企業だけのものではありません。
中小企業でも同じことが起きます。
たとえば、農業法人が農薬・肥料・ほ場管理のSaaSを使うとします。
最初は便利です。
QRコードを読み取る。
ほ場を選ぶ。
農薬や肥料を選ぶ。
投入量が自動計算される。
在庫が減る。
使用記録が残る。
特別栽培米の表示根拠にも使える。
これは非常に良い仕組みです。
しかし、そのシステムを誰が運営しているのかによって意味が変わります。
運営者は、どの地域で、どの作物が、どの農薬を、どの時期に、どれだけ使っているのかを見ることができます。
どの農業法人が記録管理できているのか。
どの法人が特別栽培へ移行できそうなのか。
どの地域で資材需要が発生するのか。
どの農産物に高付加価値販売の余地があるのか。
こうした情報は、資材販売、共同購買、ブランド化、流通、販路開拓に直結します。
つまり、農薬・肥料の記録アプリも、普及すれば農業流通の情報インフラになり得るのです。
だからこそ、経営者がシステムを理解する必要がある
システムを作れるかどうかだけが問題ではありません。
経営者が、そのシステムによって何が見えるようになり、誰が主導権を持つのかを理解しているかどうかが問題です。
便利だから使う。
安いから使う。
有名だから使う。
みんなが使っているから使う。
この判断だけでは危険です。
そのシステムを使うことで、どのデータが蓄積されるのか。
そのデータは誰が見るのか。
そのデータは何に使われるのか。
将来、自社がそのシステムから抜けられるのか。
自社の業務ノウハウが外部に吸い上げられていないか。
ここまで考える必要があります。
DXとは、業務を便利にすることではありません。
会社の情報の流れを設計し、経営の主導権を失わないようにすることです。
まとめ
航空会社の予約システムの歴史は、現代のDXにとって非常に重要な教訓を残しています。
業務システムは、最初はただの効率化ツールに見えます。
しかし、同業者に広がると販売インフラになります。
販売インフラになると、業界データが集まります。
業界データが集まると、経営の主導権を握ることができます。
DXで後手に回るとは、IT導入が遅れることではありません。
他社が作った便利な仕組みに乗っているうちに、自社の経営情報、販売導線、業界内での立ち位置まで握られてしまうことです。
だからこそ、中小企業の経営者は、プログラムを書ける必要まではなくても、システムが会社のどこを握るのかを理解しておく必要があります。
システムは会社の頭脳です。
その頭脳を誰が設計し、誰が運営し、誰がデータを見るのか。
DXの本当の勝負は、そこにあります。
参考文献
[1] IBM “Sabre”
[2] GAO, “Computer Reservation Systems: Action Needed to Better Monitor the CRS Industry and Eliminate CRS Biases”
[3] GAO, “Impact of Changes in the Airline Ticket Distribution Industry”
[4] GAO, “Airline Deregulation: Barriers to Entry Continue to Limit Competition in Several Key Domestic Markets”
[5] U.S. Department of Justice, “Justice Department Files Comments in Airline Computer Reservations System Rulemaking”
[6] Federal Register, “Computer Reservations System (CRS) Regulations”

